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2016年10月20日 (木)

宮崎 高鍋城址の 舞鶴公園

高鍋町は”歴史と文教のまち”とパンフレットにある。Img_4340_2
高鍋城址の入り口には大楠が石垣の上から我々を睥睨していた。
 
Img_4387_2
 
数年前の台風で折れた幹が公園内に置かれている。
まあ。。大きい事。
頂上までのごっつい石段は濡れていた。足の悪い友人は上らないというので断念する。
 
Img_4372_2
右手の舞鶴神社を参拝し、左手の歴史総合資料館に入る。見学者は我々2名。
館員が丁寧に案内してくれる。
Img_4370
 
 
七代藩主、名君秋月種茂公は教育に力を入れ<明倫堂>(学校)を設立し、農民までも身分に関係なく入学できた。
Img_4367
又、全国初の”児童手当制度”を作り上げ<福祉>文化を築いた。これで”間引き”を無くした。
 
”高鍋で学者ぶるな!”という諺が日向ではあるそうだ。
(凄い藩主だったんだ。。)
Img_4362_2

キリスト教徒の石井十次氏は日本初の孤児院を岡山県に設立し、3000人の養父となった。伯母様の家に飾ってあった写真と同じものがある。てっきり彼女の身内だと思っていたが、それが石井十次先生だった。
 
 
多くの優秀な人材を輩出し"文教の街”と呼ばれるゆえんである。
 
 
延岡へ続く途中の小丸川(おまるがわ)近辺は”耳川の戦い”の戦場だった。
(初めて聞いた。。ミミガワ。。)
島津に大友宗麟に黒田にヒデヨシ、ETC。。
へえ。。
錚々たるメンバーが出てくる。
 
Img_5582_2ここに秀吉のご朱印状が展示されている。
”なんでも鑑定団”に出たんですよ!”と館員が嬉しそうに言った。
あら!凄いですねえ。。
Img_4373
 
 
後で調べたら武者行為実篤が九州に作った”新しき村”というのがこの上流だった。
あー、此処だったのか。。
彼が目指した理想郷。
 
向かいの美術館では丁度”京都国際木版画協会展”が開催されていた。
この日は街に人が少なかった。
あちらこちらで運動会が催されていて、人々はみんな運動会へ行ってしまったのか。。と思ったら、それも事実ではあったが、<町民の日>で各種イベントがあったようだ。
 
Img_6120
美術館では何かのお祝い事もあったようで、正装したシニアが展示物の前で記念写真を撮って賑やかだった。。
 
版画はとても興味深い物で、我々は”金銭”をテーマにしたスペイン人の作品が印象に残った。(丁度経済的問題を抱えていたから。)
 
私が一番気になったのは小さな”磔刑のキリスト”の壮絶なる恐怖の顔だった。
通常は諦観や悲壮感漂うものなのに、それはそれは恐ろしい形相をしていた。
やっぱりここは文教のまちだと思った。
 
殆どが埋め立てられてしまったが、お堀の一部が農業高校脇に残っていた。
おじさんが何かを投げ入れているので、挨拶をした。
 
Img_5588
”鯉ですか?”
 
”いやあね。。蓮がね。。あちらこちらの蓮が、上野もそうでしょう?根が食い荒らされてねえ。。ここもそうだから鯉が何匹くらいいるのか調べているんですよ。。。”
 
数メートル先で水が撥ねた。
 
 
”水深はどの位ですかねえ。泥が大分溜まってますよねえ。”
上澄みはせいぜい15センチだ。
 
Img_5587
 
”50センチくらいだよ!”
(そんなもんなんだ。。)

”子供の頃にね、此処で泳いだんだよ。俺は溺れてねえ。。。”
まあ。。
 
それでもって5分ほど水面を見ていたが、黒い鯉が2匹見えただけだった。
これで蓮の根腐れとの因果関係が分かったのだろうか。。
 

エンジェル

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